2)秋処理のポイント②-後編-

目次

~前編からの続き~  (前編に戻る)

(4)養分量の不足分をどうやって補うか?その3
~自然農法の実際~
●有機物は化学肥料の代替えに過ぎないのか?

●自然農法の特性とその利点

●立脚点 ~土の力と種の力~

3)秋処理のまとめ(所感)
(1)稲ワラの腐熟化促進

(2)トロトロ層の形成

(3)立脚点

コラム6
~土を尊重する~

秋処理のポイント②-後編-

(4)養分量の不足分をどうやって補うか? その3

~自然農法の実際~

●有機物は化学肥料の代替えに過ぎないのか?

それでは、現在の無農薬水稲栽培の実情について見ていきましょう。

現在、各種有機物は大量に入手できる状況にあり、無農薬栽培の現場によっては、土壌の養分状態が過剰気味に推移している状況も生まれており、過繁茂を誘発しイモチ病や倒伏につながるケースも見られています。無農薬栽培の現場は、農家および地域間差が大きく、極めて多種多様な状況にあります。

有機物施用の基本的栽培指針は、収穫残さ(稲ワラ)の全量還元を前提に、1年間に投入できる窒素(換算)の最上限を10kg程度に設けています。それは、先に見られるような窒素の過剰施用の抑止という意味合いが含まれていますが、これはかなり多い量です。施用時期も考慮すれば(半量以上は秋に施用)量的水準は慣行栽培のそれよりやや低いかもしれませんが、窒素の養分収支上の大枠基本的なところは、化学肥料をボカシ等の有機質肥料に持ち替えた部分がいくらかを占めているところがあります。
しかし、あくまで上限付近(10kg)での話であり、自然農法や無農薬有機栽培における実際の施用量はもっと低くても十分です(詳細後述)。

例えば、秋、稲ワラの分解促進を考慮するなら、土壌微生物の基質(エサ)として窒素量にして3kg程度あれば十分であり、後は田植え後に雑草対策を兼ねて窒素成分に換算しておよそ3~4kgを投入する程度です。堆肥を施用される圃場では、一般的には、その分施用量を半減させます。無農薬有機栽培の現場で秋に良く施用される有機物は、米ぬか、油粕、魚粕、またはそれらをボカシにしたもの、畜産堆肥、草質堆肥、おから、大豆粕、カニガラ、海藻、他、メーカー製造の有機物資材、有機物でないものでは、ゼオライト、海水、天日塩、貝化石、等々といったところです。

ちなみに、当農園(京都丹波の里はらだ自然農園)の自然農法米では、米ぬかのみを使用しています(当農園の自然栽培米は完全無肥料です・下記参照)。米ぬかは田んぼで暮らす微生物を始めとした土壌生物のエサ(食べ物)として、明確に位置付けています。土壌生物の食べ物としての適量範囲を越えないことが大切なポイントです。
補足:2023年現在では当農園の7割程度の田んぼにおいて、一切何も施用しない完全無肥料の自然栽培米を育てています。)

実際、各地の農家現場では、有機物の過剰施用も見られていますが、自然農法は土を育てることによって、施用量を減らす方向に仕向けていくのが原則です。ちなみに冬期湛水田(冬・水・田んぼ)では投入窒素量を減らしても(何も施さなくても)明らかに稲は育ってきます(図3)。

現在、冬期湛水田の養分収支を正確に把握できる段階には至っていませんが、生物の介在による効果が大きいのではないかと言われています。先の稲ワラさえ持ち出し何も入れずに稲を育てるという栽培方法などは、一般的に考えられる養分収支を遥かに超えたところで成り立っていると考えられます。またC/N 比が低く肥料的効果の高い易分解性有機物の多用は、逆に土の力を弱めてしまう可能性が示唆される事例もいくつか経験しています。それは先の‘栄養学,に通じる現象かもしれません。

自然農法無農薬・冬期湛水田の精玄米収量と投入窒素の推移図
自然農法無農薬・冬期湛水田の精玄米収量と投入窒素の推移図

図3 精玄米収量と投入窒素の推移

※これまで玄米600kgを生産するために試算された必要窒素量に比べ、冬期湛水2年目(H16)からは投入窒素量を大幅に減らしました。しかし、収量の低下は少なく、用水や生物によって固定された窒素などが、地力以外に由来する窒素の不足量を補っていると推定しました。(三木孝昭/研究部研究課水稲チーム「冬期湛水田における耕起時期の水稲生育環境に及ぼす影響」より:自然農法センター発行「自然農法vol57・研究報告2006」p24に所収)

●自然農法の特性とその利点

自然農法の基本は育土であり、すなわち田んぼの腐植を増やし、十分な有用微生物群が生息活動できる土壌環境を導いていくことにあります。また稲の『有機栄養』による‘光合成産物の収支改善(有効利用),は、自然農法や有機栽培の利点として、今やよく知られているところであります。

すなわち、自然農法無農薬の田んぼでは、その特性上、①微生物(ラン藻類や光合成細菌)による窒素固定量が多い、②窒素の利用率が高い(腐植量・有機化量・有機態窒素量の増加による脱窒量や溶脱量の減少、有機栄養に伴う根量の増加)、などの可能性が推測されます。また自然農法センター試験田では、EM連用(7年)区は対照区に比べ精玄米重(EM/対照;619/510)、㎡穂数(338/278)、一穂籾数(86/82)が有意に増加し(原田・岩石ら2002、)、前述の微生物による働き(①②)に付随し、生産効率が高い可能性も示唆されます。

また自然農法の稲は、慣行栽培の稲に比べ、ケイ酸の吸収率が高いことは経験的に明らかに見出せる特徴です。稲ワラや堆肥等有機物の施用により生育中期(幼穂形成期~穂揃期)におけるケイ酸吸収が促進されるという研究結果もあります(住田ら1991、土肥誌62(4))。

すなわち、ケイ酸を多量に吸収することにより

「形態的には、葉身の直立性が向上し受光態勢が改善されること、下葉の枯れ上がりが少なく生葉数が多いこと、生理的には、根の吸収能力が高まること、気孔伝導度で示される気孔の開放程度が向上し葉身の光合成速度が向上することが認められている」(藤井弘志「水稲の生育・収量・食味に及ぼすケイ酸の効果」より:前掲書「ケイ酸と作物生産」に所収)

ことからも、自然農法の稲の生産効率が高いことが伺えます。

●立脚点 ~土の力と種の力~

自然農法田では、なぜ、一般的に算出される養分収支より、有機物の施用量を減らしても(また何も施用しなくても)稲が良く育つことがあるのか、前述した①微生物による窒素固定量が多いことや、②窒素の利用率が高いことや、③生産効率が高いことで、十分説明がつくだろうか。そもそも、自然農法の優良事例と言われているものは、一定の年月を経た上に、土が出来上がってきたものです。

また、毎年種子交換する稲と、長年にわたり自家採種をしてきた稲とでは土壌適応性は著しく異なる可能性があり、その両者に生育相における特異的な差が見られたとしても生物進化の過程をみれば決して不思議なことではありません。言い換えれば、自家採種を繰り返してきた稲とそうでない稲とでは、根本的に土壌診断のあり方や意味合いが異なってくる可能性があります。こうした観点に立てば、自然農法にとって、その土地に育った種を残していくことは、必須と言えるでしょう。

当農園が育てている「にこまる」は自家採種を繰り返し10年以上経過していますが、米ぬかを含めた有機物施用が不要な、言い換えるならば純粋な土の力だけで生育することを望む品種に育ったように感じています。
今(2023年)では、田んぼの様子をよく観察しながら、米ぬかを施用する田んぼを3割に減らし、残り7割の田んぼでは完全無肥料で自然栽培米を育てています。近々すべての田んぼで完全無肥料の自然栽培でお米を育てる予定です。
また当農園には苗を育てる苗代が2つありますが、ひとつの苗代では米ぬかを使い、もうひとつの苗代では無肥料で育苗を行っています(2021~2022年度)。2023年度栽培からは、いずれの苗代でも完全無肥料で育苗を行います。

一方で、農家の実際問題として、依然として化学肥料の代替え的‘肥料観念,は農家の間に根強く残っており、実際に有機物の肥料的効果を効かせて多収を望むことも可能です。しかし、前述したような自然農法創始者岡田茂吉が残していった言葉(知見)をどう捉えればよいのか?

現在、呼び名は様々ですが、自然農法や自然栽培などと呼ばれているものが昭和10年の岡田茂吉の提唱に端を発したものであるならば、化学的根拠としての仮説をそこに設定することは、決して的外れ的なことではないかもしれません。

‘土の力,と言えば、理想的な土壌として、比嘉教授が提唱される‘発酵合成型土壌,はその概念を明確に示していますし、また前述したように岡田茂吉の教えを全く何も入れない、場合により稲ワラさえ持ち出す‘完全な無肥料栽培,とひも解き実践している農家も全国におられます。(参考文献;与嶋靖智「うわさの『無肥料栽培』とは」:現代農業2005年10号農文協に所収)。
‘発酵合成型土壌,や‘農家の実践例,が、未知なる‘土,の可能性を示しています。

当農園では、先にも述べた通り、基本的には美味しいお米を育む稲を育てる目的で米ぬかを施用しています(ちなみに現在<2023年>では、前述したように、当農園の7割の田んぼにおいて何も全く施用しない完全な無肥料自然栽培米を育てています)。田んぼにとっては米ぬかはあらゆる意味でバランスがとれた最高の微生物の食べ物であり、土壌生物を豊かにし、土を育むと考えています。それらのすべての営みがお米の美味しさにつながっているという明確なイメージを持って栽培しています。手間はかかりますが、田んぼの土壌生物にとって余剰にならないように心がけながら米ぬかを田んぼに施用するようにしています。余剰にならないことが大切であり、コツです。
これは、当地における、当農園の栽培方法の一つです。その風土に適した、その地域に適した、その田んぼに適した、それぞれの栽培方法を模索して下さい。

3)秋処理のまとめ

(1)稲ワラの腐熟化促進

秋処理で主に実施することは、稲ワラのすき込み(‘有機物<収穫残渣の稲ワラ・米ぬかなど>の施用,と‘耕起,)ですが、栽培上、特に気をつけなければいけないのは、土中の未熟有機物(稲ワラ)の存在が、水稲根の生長を阻害し、かつコナギ等の雑草やイネミズゾウムシ多発の誘因になるということです。つまり「収穫後の稲ワラの腐熟化促進」は一番の命題と言えます。

稲ワラの腐熟化を進めるための耕起のポイントは、収穫直後にすき込むのではなく、田面で適度に風化させ、土壌が最も乾燥した頃を見計らって、土塊ができるくらい荒く耕起するということです。この時、微生物の基質(エサ)として窒素分にして3~4㎏程度の易分解性有機物(米ぬかなど)を施用してやると、腐熟化はより促進されます。

また稲ワラの施用には土壌団粒の形成を促進し、土壌の緩衝能力(pH、養分など)を高めるなど、土壌を改良し、機能を強化させる働きや、蓄積された稲ワラ由来の有機物からの一定量の養分供給が期待できます。

(2)トロトロ層の形成

秋処理のもうひとつのポイントは、来春の湛水時における『トロトロ層の形成』を既に意識しているという点です。つまり、稲ワラの腐熟化を進めると同時に、有用な微生物を田んぼで培養しながら、土壌中にアミノ酸、糖類、ビタミン、ミネラル、生理活性物質など、さらなる微生物の基質(エサ)を生成させていくことで、直接的にトロトロ層の形成に連動させていくという意識です。入水代かき後、トロトロ層は土壌団粒の形成と同様、腐植と粘土を中心に、微生物やイトミミズの働きが加味されて形成されていきますが、そのための準備を秋から始めていくのです。

このように、微生物の働きにより秋から春にかけて田んぼで起こる変化を収穫後の“稲ワラすき込み”という栽培過程の中に明確に盛り込んでいくことが秋処理の主な要点です。

(3)立脚点

有機物の施用をどう捉えるのか?どう位置づけるのか?養分は不足しているのか否か?これら問いに対する答えは(前述してきた)立脚点の取り方により大きく異なってきます。‘立脚点をいかに取るか,これは栽培上における極めて重要な命題ですが、言い換えれば農家の選択しだいであり、哲学でもあり、好みしだいです。‘何が正しくて何が間違っているのか,本当のところ一概には言えません。農家が心から本気で‘ワクワク,して取り組めることが一番重要だと思っています。

しかし本書では、‘肥料観念,を捨て、田に関わる‘生き物,の力を借り、‘種,の生命力を引き出し(採種、育種)、土そして種が本来持っている力を存分に発揮させることによって作物を育てていくということを、栽培の前提(立脚点)として持っておくことを強く‘おすすめ,したいと思っています。この‘土台,を起点に栽培を構築していけば、栽培の軸がぶれてしまうことはないと考えています。

技術や栽培や方法を田んぼに当てはめるなかれ、押しつけるなかれ、田んぼの前に、土の前に、人のこだわりはない、自分はない、ただ従うのみ、自然に従うのみである。
何とか技術や、何とか農法や、何とか栽培がすべてではない。もちろん絶対でもない。その風土、その気候、その田んぼ、その土、その場所、その人にあったやり方を田んぼと相談しながら、ワクワクしながら選べばいい。そうして田んぼに向き合って農家が真剣に選んだ栽培は、きっとその人の田んぼにとっては正しいのだ。もし、田んぼの前でワクワクしたなら、それはきっと田んぼと呼応した時だ。

コラム6

土を尊重する
岡田茂吉の‘土を愛し、土を尊重し・・・,の一文を読んだとき、田舎で淡々と温和に生きる‘お爺ちゃんお婆ちゃん、の姿が思い浮かんだ。仕事で農家訪問に伺った時、帰り際、よく野菜やお米を持たせてくれた。私にとって、それはとても嬉しく、とても美味しく感じた。‘お爺ちゃんお婆ちゃん、は私が見えないところ(世界)できっと土(自然)を尊重しているのだ。それは、物質的な豊さを追い求め続ける経済至上の世の中がどこかに置き忘れてきたものかもしれない。「自然農法の原理は飽迄(あくまで)土を尊び、土を愛し、汚さないようにする事である。そうすれば土は満足し、喜んで活動するのは当然である。」にわかに信じがたい部分も感じずにはいられない。しかし・・・である。論点が変わるかもしれないが、宮崎駿の‘世界,が頭をよぎる・・・決して異質の世界ではない・・・八百万の神の国、日本人は元来‘あらゆるものに神は宿る,と考えてきた。幼い頃「お米一粒には七人の神様がいる」と教えられた。土は生きている。私たちと同じように自然の摂理の中で生かされている存在だ。心は通じる。

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