無農薬玄米のよさ

無農薬玄米を選ぶ理由

もしあなたが健康的だからという理由だけで無農薬玄米を選ぶのならば少し勿体ない気がする、なぜならそこには美味しくて面白くて豊かな食の世界が広がっているからだ。

無農薬の玄米を選ぶ理由(動機)を聞かれたら多くの人が「体に良いから」「健康に良いから」と答えるかもしれない。

「玄米が体に良い」ことは、かなり以前から、色々なところで色々な人によって言われ続けてきたから、多くの人が“玄米=健康的”と連想するのではないだろうか?

農薬の危険性についても、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(1962)に代表されるように、心ある人達によって警鐘が鳴らされ続けた。農薬が人を含めた生物や自然環境に多大な悪影響を及ぼすことは今や周知の事実であると言えよう。多くの人が出来ることなら無農薬のお米や野菜を食べたいと願っているかもしれない。

そしてもうひとつ忘れてはならないのが、無農薬栽培で育てられたお米や野菜を食べる時には農薬や化学肥料や除草剤の心配をしなくていいということである、つまり安心して食べることができる精神的なメリットは予想以上に大きいかもしれない。

しかし、無農薬玄米を選ぶ理由になり得るものは、無農薬の良さが、玄米の良さが、健康的であるということに尽きるわけでは決してない。最終的には健康であることに結びつくのかもしれないが、体に良いからという理由だけで無農薬のお米を選んだ人も、自分に合った無農薬のお米に出会い、お米の本当の美味しさを知れば、玄米やお米の見方が大きく変わるかもしれない。

美味しさの意味

大切なこと

一番大切なことは、“美味しい”、と感じることである、そう考えている。

これが最も大切であると私は思っている。つまり農薬や除草剤や化学肥料を使わないということ、安全なものを安心して食べるということは大前提(当たり前)であって、選ぶ第一の基準は、自分にとって、そのお米や野菜は本当に美味しいかどうかということである。“良薬口に苦し”(※)には与しないのである。(※本来、この諺の良薬は忠言のたとえではあるが・・・)

“美味しい”は“美しい味”と書く

随分前の話になるが、まだ農家になっていない頃、ある無農薬のお米を食べて「ああ美味しいなぁ」と感じた瞬間、ある名画が、お米の美味しさと共に脳裏いっぱいに拡がったことがあった。その時ひらめいた、そうだ“美味しい”は“美しい味”と書くではないか、と。ちょうど芸術鑑賞にはまっていた頃でもあったので、偶然の出来事なのかもしれないが、私はその体験以来、食に対しても見えない“美しさ”のようなものを意識するようになった。

食を味わうということは、奥深く豊かな世界の体験である、そう思う。

当農園のお米を買ってくださったお客さんから、お米の感想を頂くことがあるが、その感性の鋭さや豊かさに頭が下がる思いをすることがある。

お米の味わいの中に、見えない何かを感じておられるのだ。他にも味わいだけではなく、見ただけで、私達のお米の育て方を察して感想をくださる方もいる。私達はまだまだ本当に未熟ものであるが、大変有り難いことである。

「美味しい」は体をよくするサイン

美味しいことが、一番大切であると述べた。

なぜなら、その人が美味しいと感じる食が、その人を幸せにし、その人の体を良くする食である、そう強く信じているからである。

感性を信じる、体を信じる、自分の体は自分の体に合った食を「最も美味しい」と判断する、ということを私は信じている。

そして自然本来の本物の食が、人の持つ本来の感性を磨いてくれる。

後味の重要性

美味しさは食後の余韻にあり

“美味しさ”は食後の余韻の善し悪しで決まる、そう言っても過言ではない。

普通、美味しさは、食べ物を口の中に入れて噛んで舌の上で感じるものと考える。しかし美味しさを見極める体のセンサー(舌)は、口に入れた瞬間の判断だけでは惑わされることがある、一瞬美味しいと勘違いしてしまうことがあるのだ。

自分の体に合った、健康を維持してくれる食べ物は、食後の余韻が必ず心地良い。

いわゆる後味(口に残る味)とも言えるが、ここでいう余韻は、“口に残る味”というより“体全体で感じる余韻”のことを指す。

自然に則した美味しい食べ物は、食後の余韻が心地良いものである。

食後の余韻は誰でも日常的に多かれ少なかれ体験していることである。

美味しさの余韻は、その食が体に合っていることを如実に示しているのである。

米穀業界や米炊飯業界には、ご飯の味を味覚で検査している専門家がいる。ワインの味に詳しいソムリエに対比して、「ライスソムリエ」とでも言えば仕事の内容がわかりやすいのではないかと思う。その専門家の一人によれば、「この余韻のあるなし」で米は一流か三流かが決まるという。<堀野俊郎著「おいしいお米の栽培指針」(農文教1998)より引用>

自然農法で育てられた無農薬米の美味しさ

ちゃんと育てられた無農薬のお米は、その土地、その自然環境、その田んぼ、その土の良さがお米に顕われてくるので、玄米でも、分つき米でも、白米でも、そのお米は美味しい。

私は自分のお米(自然農法米)が大好きなので、毎日楽しみにしていて、とてもたくさん食べているが、先に述べたように、食後の余韻が心地良い(もちろん自分で育てたお米なのだから、自分に合って当然なのかもしれないが・・・)。少し大げさに表現するなら、その心地よさは、胸の真ん中あたりを中心にして次の食事までの間ずっと続いていて、お腹がだんだん減ってくると、その心地よさが、その自然農法米をまた食べたいという食欲という形で求め始めるのだ。

土の力を生かす自然農法で栽培されたお米(無農薬米)は、体に優しく、体に馴染むような美味しさを持つ。玄米は雑味がなく、口に含んだ時、噛み砕いた時、のど越し、後味、余韻、いずれもすんなり体に馴染み心地よい。

無農薬玄米の栄養価

玄米の構造

お米は均一構造?

玄米は、米ぬかと白米の均一な2層構造であると考えている人が多いのではないだろうか?米ぬかをきれいに取り除いた白米を炊いて出来上がったご飯は、いかにも均一感がある。「いや、お米の内部構造なんて、そんなこと考えたこともない」そういう人も多いかもしれない。

ちなみに玄米の米ぬか部分を完全に取り除いたものが白米であるが、その米ぬか部分を段階的に薄く削ったものがいわゆる“分つき米”である。例えば5分つき米では米ぬか層を約5割削る、7分つき米では約7割削る。)

お米の内部は多重構造になっている

実はお米の内部は均一ではなく、驚くほど複雑な多重構造を形成している。

専門的な話になるが、詳しく解説しよう。

玄米の内部構造は大ざっぱに言うと、外側は①果皮と②種皮に被われていて、その中身が③胚乳である。

更に①果皮は<表皮・中表皮・横細胞・管細胞>の4層、②種皮は<種皮・外胚乳>の2層に分かれている。③胚乳の内部は<デンプン貯蔵組織>になっているが、その外側は糊粉層(アリューロン層)・亜糊粉層(サブアリューロン層)>の2層に被われている。

私達が普段、ご飯に認識している“デンプン部分”は、玄米の時点では、このようにいくつもの層に被われているのである。

ちなみに白米は、亜糊粉層以下<“亜糊粉層とデンプン貯蔵組織”>のことを指すが、亜糊粉層は脆くはがれやすい。精米時にはその一部が白米として残される。つまり一般的に白米とは、<精米時に残された亜糊粉層の一部>と<デンプン貯蔵組織>のことを言う。

お米の美味しさは米粒の表層にある

さらに「おいしいお米の栽培指針」(農文協)の著者である堀野氏は、従来均一と見なされてきた白米内部を詳しく分析して、白米表層部に旨味成分(ショ糖やグルタミン酸)が多く含まれていることを見出した。さらに、お米の味を良くするミネラルであるマグネシウムは米の登熟が進むにつれて糊粉層(アリューロン層)、亜糊粉層(サブアリューロン層)、つまりお米の表層部に集積することを示した。

経験的に、白米表層部を包むアリューロン層等(分つき米で残される米ぬか部分)にも同等以上の旨味成分が含まれていると私は考えている。

少し専門的な話になったが、要は、①お米の美味しさのもとになる旨味成分は、お米の外側(表層部分)に集まっているということ、②精米(白米にする)過程で米ぬか等に多く含まれる旨味成分を削り取ってしまうということである。

精米過程で削り取られるお米の外側(米ぬか)には玄米栄養の約8割が含まれている。米ぬかには、リン・カリウム・マグネシウム・カルシウム・鉄などのミネラル、ビタミンB1、ビタミンB2、タンパク質、γ(ガンマ)-オリザノール(※)、フィチン酸、脂質、食物繊維など多くの栄養分が含まれている。
(※γ-オリザノール:インスリンの分泌を促し、血糖値を下げる効果があることが、琉球大学などの研究チームによって明らかにされている。)

つまり透き通る程きれいに精白された白米より、玄米や分つき米や胚芽が十分残るぐらい浅く精米した白米のほうが表層部分に旨味成分が多く残されているので美味しく感じる可能性が高いということである。

おすすめは、玄米、分つき米、浅く精米した白米である。

また経験的に慣行栽培米に比べると無農薬米(ただし、ちゃんと栽培されたもの)のほうが明らかにお米の表層部に集積される旨味成分やミネラル成分はバランス良く多く含まれている可能性が高いと判断する。

このように、無農薬玄米の栄養価は高い、と言える。

おすすめは、自然農法米など、無農薬で栽培されたお米である。

(参考文献:「農業技術体系・作物編1イネの形態と発育」星川清親(農文協)、「おいしいお米の栽培指針」堀野俊郎(農文協1998))

以前、ベテランの和食料理人(料理長)に、当農園の自然農法米の白米と8分つき米(胚芽部分を残して浅く精米したお米)を食べ比べてもらったことがあったが、「8分つき米」のほうが美味しいと言われた。すっかり気に入ってもらって料理長のお店では8分つき米を提供されている。
しかし、その人に合うお米の基準、美味しさの基準は人によって異なる。絶対的な正しさはない。玄米が合う人もいるし、5分つき米が合う人もしるし、白米が一番という人もいる。一番美味しいと感じるお米がその人にとっては一番いいお米なのだと思う。
ちなみに私は玄米は冬に好んで食べるが、夏は一切食べない。体が欲しないからだ。私にとって玄米は冬に美味しいものである。夏は8分つき米を主に食べている。春と秋はその間といったところである。
おすすめのお米の食べ方:二色ご飯
少し面倒だが玄米と8分つき米を炊く。玄米は主に土鍋で炊く(→土鍋玄米の炊き方)。我が家では8分つき米は炊飯器で炊く。お茶碗に玄米と8分つき米を半分づつ盛って食べる。最高に美味しい。

美味しく食べたい

魯山人のお皿

美食家・北大路魯山人、とても有名な人であるが、魯山人に関する本も読んだことがなく、詳しくは知らない。

しかし、以前テレビの特集番組で見た、ある回想シーンはとても印象的だったので今でもよく覚えている。

魯山人は、料理の味が、盛られた器によって大きく異なることに気づいた。
料理に見合った良いお皿に盛り付けられると、その味は明らかに変貌を遂げた。
それは魯山人にとって衝撃だった。
以来、魯山人は、陶芸家として、自身で料理の器を作るようになった。

ざっと、こんなふうに記憶していて、折に触れて思い出す。

私は一度だけ、魯山人の器を足立美術館(島根県安来市)で見たことがある。
私は美術鑑賞が好きだが、絵画や書に強く魅せられることはあっても、当時は陶芸作品に興味が湧くことはほとんどなかった。しかしそこで見た魯山人の器は良かった、魅せられ、心が踊った、それは陶芸作品では初めてのことだった。

美味しさは変化する

全く同じ料理だとしても、美味しさは変化する。不思議だ。

器によって、見た目によって、雰囲気によって、印象によって、いっしょに食べる人によって、体調によって、気分によって、その味は様々に変化する。

だから、食は美味しく食べる工夫ができる。

気に入った器に、きれいに盛り付けて、良い雰囲気で、良い印象を持って、いっしょに食べたい人と、好きな人と、体調よく、機嫌よく、楽しく食べる。

その瞬間は間違いなく幸せだ。

心を込めて育てた自然農法のお米や、無農薬のお米は、その一助になるかもしれない。

当記事の表題である「無農薬玄米のよさ」、その真骨頂は「美味しさ」にあり。