台風

台風19号では多大な被害が出た。言葉を失う。ただもう祈るしかない。少しでも早い復旧をお祈りする。

かけがえのない命を失くし、様々に光る星を見上げる、地上の悲しみは消えない。

大自然の摂理は人知を遥かに超えている。

台風被害を受けた方は、気力も勇気も志も目標も夢も失わずひたすらに前を見ても、時にどうしようもない現実の前に悔し涙を流すこともあるかもしれない。そうならないよう多くの被災者には資金の援助が必要だろうと思われる。元の生活を取り戻す復旧は生やさしいものではない。

しかしそれでも、大自然の摂理は、すべての人が救われるように、おそらく、隅々にまで行き届いている、そう信じている。

当農園も昨年(2018年)の台風21号(各地に甚大な被害をもたらした)により廃業になりかねない多大な被害を被った。

コンバインとトラクターを保管していた鉄筋作りの小屋が、竜巻(と推定される)により、丸ごと空中高くに舞い上げられ、母屋の真上に落下して母屋をほぼ全壊させ、反対側に落下したのだ。

知らせを受けて妻と駆けつけて目にした光景は、想像を遥かに越えた、つきつけられた現実の悪夢だった。当初は廃業が何度も頭をよぎった。

折れ曲がり変形した重量級の鉄筋の残骸、母屋の中は、屋台骨が折れ曲がり、雨ざらしで水浸しの中に、小屋の残骸などが無数にちらばり、あらゆるすべてが嵐で吹き飛ばされたような、超混乱状態。

先日テレビで台風19号の被災者が言っていた、「一体何から手を付けたらいいのか分からない。」

本当にそうなのだ、痛いほどその気持ちが分かる、母屋が全壊した被災現場はもうとてつもない混乱状態で、一体どこから何から手を付けたらいいのか全く分からないのだ。被災当初、ある天気の良い朝、現場でたった1人途方に暮れ、どこか不謹慎だと、はばかりながら、呑気に折りたたみ椅子に座って読書をした。

こんな中でたった一人で一体何ができるというのだろう。

当初とても助かったのは、機械屋さんがすぐに駆けつけてきてくれて、プロの仕事をしてくれたこと、電機屋さんが敏速に対応してくれたことだ。その後も色々な方に助けられて無事に復旧することができた。随分お金も使った・・・。

私達が復旧することができたのは、上で述べたように、多くの方に助けてもらったことは勿論のことだが、以下の被災状況(要因)が挙げられる。

①お米は密閉された頑丈な低温貯蔵庫に保存されていたこと(低温貯蔵庫はほぼ無傷)、②重要な農業機械のすべては(小物類は除く)、あれだけの建物の損傷にも関わらず奇跡的にほぼ無傷で全く故障しなかったこと、③近くに置いていた軽トラも無傷であったこと(当台風に限りいつもの台風とは置き場所を変えたことが幸いした)、④隣接する農業用ビニルハウスが何とか持ちこたえたこと。

結果、新しく母屋を用意する必要があったものの、大型の農業機械等を新しく購入する必要がなかった(しかし、小物類は随分廃棄処分となった)。

つまり、私達のような零細農家では、用意できる、または借りることができる復旧資金は限られている。

壊滅状態から復旧するためには、十分な資金が必要だ。自然災害は、全く予期せぬものだ。日常生活を営むだけで精一杯の状態で被災した場合は多くの資金援助が必要とされるだろう。

私達当農園が復旧できたのは、最低限の被災(と言っても馬鹿でかいが)、あるいは身の丈にあった被災(表現が不適切かもしれないが)で済んだからだ。

一般に被災した人達が復旧できたのは、もちろん当事者の強い志があったからであろう。しかし復旧のための資金がなければ志だけではどうにもならない。逆に、被災後、復旧できなかった人達は、意志が弱いとか勇気がなかったというわけではなく、単に必要十分な資金が用意できなかったのかもしれない、十分な融資を受けることが出来なかったのかもしれない。

行政の資金支援制度は、とても有り難いが、被災状況や復旧計画が、貸し付け条件(規則)にごく僅かでも適合しなければ融資を受けることができない。

私達も、昨年(2018年)の台風被災では、僅かな条件不一致により、涙をのんだ。大げさに表現するなら生死に関わるような場面でも、書類に記された事項が最優先され、そこには現場の状況をくむという臨機応変さはない。逆に言えば、それでなければ公的機関の公平性は保たれないのかもしれない。しかし喉から手が出るほど復旧資金が必要な被災当事者にしてみれば、僅かな解釈や状況の違いにより融資を受けられないのはなかなか納得できることではない。

しかし捨てる神あれば拾う神ありで、私達の場合、最終的には融資を受けることができた。それが命綱になったことは言うまでもない。感謝である。(我が志を受け取ってくださり、本当にありがとうございました。)

人は、人に助けられる。そしてやはり復旧資金が必要になる。

私は、基本的に「人間万事塞翁が馬」であり、何が良くて何が悪いなんか分からないから、とても明るく過ごした。そして復旧に向けて新しく創造する過程を心より楽しんだ。

肉体的にも精神的にも人生でもっともつらい日々のひとつだったかもしれないが、日々全力を尽くし家族で力を合わせて乗り切った日々は、私個人としては生涯忘れることはないだろう良き思い出になっている。

若い頃は、台風が来れば妙にワクワクしてバイクで台風の中を走った。地震も全く怖くなかった。しかし神戸大震災で生まれて初めて大きな地震を体験して地震の怖さを知り、昨年小屋を丸ごと吹き飛ばされて、台風は命に関わることだと知った。それからというもの台風の時は外に出るのに恐怖を覚えるようになった。

物がどれだけ壊れても、皆の命が無事だった。だから幸せだった。

被災者には、特に経済的基盤が弱い被災者には、十分な支援策が必要だ。

そして何より優先されるべきは、やはり命である。経済的効率よりも命である。それは社会というだけではなく、小さな家庭でも顧みるべき問題である。

ほんの一例であるが、例えば、農家は、台風や大雨や大雪では、作物やハウスや用水路などが気になって、ついつい様子を見に行きたくなる。でも時には外に出ず待つ勇気も必要なのだ。

最後になったが、被災者に、そしてあらゆるすべてのものに祈りを捧げて本稿を閉じたい。

京都丹波の里はらだ自然農園にて
京都丹波の里はらだ自然農園にて