風邪と自然農法

自然農法田(京都丹波の里はらだ自然農園)
自然農法田(京都丹波の里はらだ自然農園)

目次

風邪をひいても薬は飲まない
~自然農法の妙~

正月明け、久し振りに風邪をひいた。近年、風邪をひくのは2~3年に一度くらいだが、大体において症状は軽い(今回は喉と咳だけで熱は出なかった)。農作業が忙しい時に風邪をひくこともない。病気と書くように、気が張っている時は体調を崩すことは少ないのかもしれない。しかし、風邪をあまりひかないのは、気合いが入っているとか、体が丈夫であるとかというよりは、ひとつは日頃の食事のおかげであると思っている。自然農法の無農薬米や野菜、こだわりのお味噌やお醤油やお酢などなど(でも決してこだわり過ぎてはいない)、健康にはこだわるが、自分の体が本当に美味しいと感じるものを食べる、“美味しいという感覚”を大切にしている。

もうひとつは、薬で風邪を治してこなかったことが大きいかもしれない。風邪をひいても(高熱が出ても)薬は決して飲まないし、病院に行くこともない。20数年前、自然農法に出会ってから薬は全く飲まなくなった。なぜか?

風邪の捉え方にこそ、自然農法の妙がある。

自然農法的な子育て
~無農薬で育てる~

私の子供二人は、私の背丈を上回るほど大きくなったが、稲と同じように、無農薬ならぬ“風邪をひいても薬を飲ませない”で育てた。子供が風邪をひいても今まで一度も薬を飲ませず、医者にみせたこともない(学校の規則によりインフルエンザ流行時に判定検査のためだけに病院に連れて行ったことはある)。他の人にこの話をすると「それはアカンよ」「ちゃんと病院に連れていかないと」などと強い抗議?を受ける。そう、これが世間一般の常識だから仕方がない。

しかし、農作物に使う農薬と、人が服用する薬は、症状を抑えるという意味において原理的には同種であり、感覚的には全く同じものである。だから自然農法(無農薬・無化学肥料)でお米や野菜を育てる自然農法農家にとっては、風邪くらいで薬を飲まないのは、至極当たり前のことなのである(詳しくは後述する)。だって“おいらは自然農法の百姓”だぜ。少なくとも私にとっては、そうである。

風邪は浄化作用

では風邪とは何か?風邪は体の“浄化作用”である。風邪は熱を出し、鼻水を出し、咳(痰)を出し、時には腹を下し、体内に溜った毒素を出す。自然に備わっている最高の“デトックス”である。

自然農法の創始者である岡田茂吉は次のような言葉を残している。

「病気とは人体の浄化作用であり、人体に毒素がある程度溜まるや、これが健康に支障を及ぼすため毒素排泄作用が発生する。つまり清浄作用である」

岡田茂吉とは

岡田茂吉という名を初めて耳にするという方もおられるかもしれない。私も自然農法を学ぶ過程で初めて知った。岡田茂吉(1882~1955)は、自然に備わっている土の力の偉大さを説き、自然農法のみならず、現在実施されている無農薬・無化学肥料・無除草剤の栽培に影響を与え、自然の摂理を重んじる農業栽培の礎を築いた人である。

岡田茂吉の説いた自然農法の理念は「大自然を尊重し、その摂理を規範に順応することにより真理を具現する」“自然尊重・自然規範・自然順応”である。

自然の摂理に則った、農業者としての人の関わりを肯定した。“何もしない”のではなく“いかに関わるか”である。つまり、自然の摂理に則った関わり方をすることにより、より土(自然)の力を発揮させることに主眼を置いている。

自然農法の創始者としては、福岡正信氏(1913~2008)のほうがよく知られているかもしれない。福岡正信氏の理念は「田も耕さず 肥料もやらず 農薬も使わず 草もとらず」(福岡正信著「自然農法 わら一本の革命」春秋社1983より)に代表される“究極的に何もしない”人智人為無用の自然尊重である。福岡正信氏が唱えた自然農法もまた自然の奥深さ・完全さ・神秘を人に鋭く伝えるものである。いずれにせよ、両者が自然農法のみならず、自然栽培や自然農、有機・無農薬栽培などに与えた影響は極めて大きいと言える。

一方で、岡田茂吉は、宗教法人・世界救世教の教祖という顔を持つ、と言えば更に驚かれるかもしれない。私は信者ではないが(他宗教の信者でもないが)、岡田茂吉の残した「御教え(みおしえ)」にはいつも驚かされると同時に瞬時に共感した。機会があれば、また紹介していきたい。一宗教の一教示という枠に囚われてそれらを見てしまうのはあまりに勿体ない。岡田茂吉が生きた時代に思いを馳せれば、いかに先見の明に富んでいたかが分かる。何が何でも、やっぱり、いいものはいい、そう思う。

昭和6年、岡田茂吉は「一葉の 朽葉をとれば巌として 輪廻の則を語りて居るも」という歌を詠み、生態学における生命の物質循環の法則を説いた。ここに自然農法の思想の原点がある。
京都丹波の里はらだ自然農園の裏山にて
京都丹波の里はらだ自然農園の裏山にて

自然治癒力と観察

話を戻すが、子供が小さかった頃は、子供が高熱を出すと、やはり心配になった。でも、薬は与えないし、医者にも頼らないし、基本的な姿勢として、その子の自然治癒力に任せる。しかし、風邪という“浄化作用”が強すぎると、命や後遺症に関わる場合も予測される。ここで大切になってくることは、症状の観察であり、病気の子供に対する真剣かつ直感的かつ肌で感じる観察である。

つまり何が何でも医者に見せないというわけではなく、いつでも病院に連れて行ける態勢を整えておきながら、その子の状態をよく観察する。子供が風邪をひいた=医者に診てもらう、というわけではないので、高熱を出した時などは、多かれ少なかれ緊張する。言葉にすれば、こういう表現になるが、要は、傍にいて、よしよし、大丈夫か、と声をかけて、できることをやってやり、後はただいつものように見ていてやるだけである(※ただうちの場合は、風邪でぐったりするようなことはなく、放っておいても大丈夫であると判断できるような状態だったので、随分安心していたように思う。)

冒頭でも少し触れたように、この感じ、この感覚(風邪、薬を飲まない、自然治癒力)は、無農薬でお米や野菜を育てる時と全く同じである。基本は“観察”であり、今ある状態をできる限り知ろうとする努力である。

風邪(病気)は自然に備わる浄化作用である。大切な作用である。だから風邪の症状を薬で止めてはいけない。自然に任せて自然に委ねてしっかり毒素を排出させてやることが大切なのだ。

<補足>岡田茂吉は薬は毒であるという“薬毒”を強く説く一方、“~医師(くすし)の道をなみすべきかは”という言葉を残している。決して医の行為をあなどってないけない、と。医をどう捉えるか、である。

子供は菌と友達になる

風邪の浄化作用からは少し話がそれるが、要は、子供は基本的には風邪ととても上手に付き合うということである。これは、子供を観察していて、“なるほど”としみじみ実感したことである。

まだほんの小さな子供が風邪をひく、熱を出し、鼻水を出し、もうどう見ても明らかに風邪の症状、しかし何だか元気である、いつものように歩き回り、いつものように食べ、いつものように寝る。無論、薬は飲まさないし、医者にも連れていかないし、ただ傍に付き添って見て放っておく。そして治る。そしていつの間にかまた風邪をひく。そして風邪でも子供は元気である。風邪をひく、治る、その繰り返し。

そんな子供の姿を見ていてしみじみ思ったのは、子供は何らかの風邪の菌(細菌?ウイルス?ここでは総称して菌とする)と友達になっているのだ、生まれて初めて出会う菌と手をつなぎ友好を結んでいるのだ、子供は菌と仲良くなろうとしているのだ、ということである。

でもこれに関しては、何の根拠もない。単なる実感でありイメージに近い。正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。しかしいずれにせよ薬を飲ませず、色々な菌と仲良く?なりながら育つと、子供は大きくなるにつれて、だんだんと風邪そのものをひく回数が減ってきて、風邪をひいても軽い。そんな様子を見ていると、やはり小さい子供にとっては、風邪をひくということは自然との出会いであり、世界を知ることであり、自然界の色々な微生物達と直に接触する機会であると、菌と仲良くなることは“小さい子供の仕事”なのだと思うわけである。

だから私は常識とは反対に、手洗いやうがいを子供に促したことはない。でも私はこうした“子供と菌の関係”については、子育てをしながら徐々に感じたことなので、子供が生まれる前からこうした考え(子供と菌の関係)を持っていたわけではない。もし以前から、そう確信していたなら、もっともっと“ばい菌?いっぱいな不潔?”な環境の中で子供を育てたのに、と思うのである。ここまで言うと絶句される方もおられるかもしれないが、本当にそう思う。

さて、風邪の浄化作用に話を戻そう。

自然農法における病気の捉え方
~病気を悪とは考えない自然農法~

「病気とは人体の浄化作用であり、人体に毒素がある程度溜まるや、これが健康に支障を及ぼすため毒素排泄作用が発生する。つまり清浄作用である」(再掲)

もう一つ岡田茂吉の言葉を紹介したい。

「万有の法則は汚濁の溜る処、必ず自然浄化作用が発生する」

風邪(病気)は人体に溜った毒素を排出してくれる浄化作用である。大切なことは(医者に頼らなくても大丈夫と判断できるなら)風邪をひいても薬で症状を抑えず放っておくことだ。

同じく、農作物にとっての病害虫も、自然界に備わっている浄化作用である。これは、無農薬で農作物を育て、ずっと観察していると明らかに見出される事実である。

人の風邪にせよ、農作物の病害虫にせよ、本当にやるべきことは目に見える症状を取り除くための対症療法ではなく、根本的な原因を取り除くことである。人や農作物の健康について考えることである。(※場合により対症療法が必要な時もあるかもしれないが、健康へのベクトルは全くの正反対である。)

百姓にとって、病害虫は悩みの種であるが、病害虫は自然界からのメッセージであり、シグナルである。そこから土の状態を知り、栽培のあり方を見直すことができる。

風邪薬や農薬などの対症療法は、自然に本来備わっている浄化の働きを阻害し抑制する行為である。根本原因を見ずして、本来あるべき健康の姿から遠ざかろうとする行いである。

繰り返すが、病害虫は決して敵ではない、悪ではない。病害虫は自然に備わる浄化作用である。そう“万有の法則は汚濁の溜る処、必ず自然浄化作用が発生する”のである。栽培者としてやるべきことは、自然のメッセージに耳を傾け、自然のシグナル(病害虫)を見て、作物の状態を知り、土の状態を知り、土を良くしていくことである。土の状態を健康な状態へと導いていく自然の手助けをすることである。

そもそも農薬は、いかに化学が進歩しようと、人体や自然環境にとって有害であることに間違いはない。

雑草も同じく、自然(土)が健康であろうとする大いなる自然の働きである。雑草の話については、また機会を改めて書いていきたい。参考:拙著/自然農法の水稲栽培

風邪は適度にひきたい

適度に風邪をひくということはとても有り難いことだ。特に年末年始の食は乱れる。風邪は、体に溜った毒素を排出してくれるので、たまには風邪をひいたほうが良い。同じ理屈で、たまには腹も下したほうが良い。毒は溜めてはいけない。出したほうがよい。

だから、薬の力で、せっかくの熱や鼻水や咳や痰や下痢を止めてしまうと、毒素が排出されないままになってしまう。そして次ぎに風邪を引くと、更に溜った毒素を排出しようと更に高熱が出たりするかもしれない。その繰り返しは、イタチごっごである。

浄化作用とは、少ししんどいものかもしれないが、自然の働き(摂理)に体を任せ、体に備わっている自然治癒力を信じる。

私は、20数年前、20代後半の時に、自然農法と出会い、風邪は浄化作用であることを知った。それは驚きの事実であったが、すんなりと共感できたと記憶している。今では自分にとってはすっかり当たり前の事になってしまったが、当時、“浄化”という響きはとても新鮮だった。そして時は流れ、時代は移り変わり、ここ数十年の間で、世間における病気の捉え方も変わりつつあるのを感じる。

自然農法は、生活と密接につながる

病気に対する自然農法の捉え方は、自然農法の真髄のひとつと言える。実はこれは奥が深い。自然農法とは生き方そのものである、そう思う。病気という解釈を広げれば、色々な事に通じる考え方である。農作物の病害虫が、土を知るための自然界からのメッセージまたはシグナルと受け取れるなら、人生においても、己を知るためのメッセージで満ち溢れているではないか、おお自然農法よ、ああ自然よ、私はまだまだだろう。

今回は「風邪と自然農法」について、自然農法実践農家としての体験をもとに述べた。なかでも医療は命に関わることである。薬を飲むか飲まないか、医療をどう捉えるかは自己判断・自己責任でお願いします。