秋山黄色(アーティスト)
昨年12月、NHKの「SONGS 尾﨑豊トリビュート 令和の時代に響く歌」という番組で、秋山黄色を初めて聴いた。秋山黄色という金髪の若者は、尾﨑豊の名曲「シェリー」をカバーした。他に眉村ちあきが「僕が僕であるために」、石崎ひゅーいが「Forget me not」を歌った。皆それぞれ良くて、何回も聴いた。3人ともそれぞれ熱量が凄い。「ああ何てまじめなんだろう。」12月中旬で紅白も近かったが、紅白ぐらいの熱量だ。いい歌番組だった。
秋山黄色の「シェリー」を聴いた時、曲のカバーというのは、こうするものなのか、ということを初めて知った気がした(それはアレンジもさることながら自分のものにするという感覚的な意味が大きい)。このカバー1曲で、この金髪の若者の才能に心底恐れ入って、私は横にいた子供に少し詫びるように話した。「スマホばかり見てるな、とよく怒るけれど、何だかこの才能溢れた秋山黄色を見て、逆にむしろスマホを推奨したくなった」と。これは直接的な意味ではなくて、おそらくきっと、スマホ=若者の象徴という意味で反射的に言ったと思う。
スマホ?大人から見たら、若者(特に中・高校生)のスマホなんてクソ食らえだと思ってしまうが、若者を頭ごなしに、とやかく否定するのは、大人として何だか間違っているのではないかと、突然、秋山黄色という若者の才能を目の当たりにして、私は「若者を判断する」すべてを手放したくなった。
大人では到底計り知ることができない遠くて尊くて豊かな才能、(若者のことを)何も分からないのなら、そう何も分からないのなら、分からないまま放っておこう、そうできれば・・・素晴らしい芽を摘んではいけない、若者よ、我が子供よ、自分を信じて芽を伸ばせ、自分の心の向くままに、思うままに、自分の感性を信じるのだ、自由に生きてくれ、私の言うことを信じてはいけない。(でも本当は子供の芽なんて無茶苦茶強い、何も話なんか聞いてはいないのだ。私はいつだって子供達にとって出来る限り大きな壁になって立ちはだかるのかもしれない。そう、子供なんてどれだけ説教しても、本当にやりたいことがあれば、やりたいように芽を伸ばすものなのだ。説教なんてそもそも初めから何も聞いていやしないのだ。そう思う。)
私にとって新世代の秋山黄色の歌は確実に私の心に食い込み、何かを動かした。
私も少しギターを弾く。簡単なコード進行、ありきたりのフレーズ、うん、こんなもの、ずっとそうだった、それが秋山黄色のギターをyoutubeで聴いて(彼はギターに特化したyoutubeもあげている)、ギターってこう弾くのか、ということを教えられた、こんなギターの感覚を覚えたことは初めてかもしれない、簡単なスタンダードなコード進行が生命感を帯びてくる、当たり前のギターのカッティングがいつもよりきれる、弦の響きが心地良い、そこにリズムが生まれる。それはリズム、秋山黄色が教えてくれたリズム。
先日、「10の秘密」のドラマの主題歌を秋山黄色が歌っていることを知った。「モノローグ」という曲。youtubeを見た。今誰よりも一歩先を走っていると思わせるような感覚のMV。見る者聴く者に、力を与え、その何かを変え、楽しませてくれる、そして時に泣かせる音楽、その才能、その魂、ハート。
これから、いやでも更なる脚光を浴びていく存在。いつでも周囲の期待に答えるのではなく、いつも、逆に裏切りながら、歩んでいって欲しい、そう大人に決して負けないように・・・そう、あのボブディランのように。