我が家のトイレットペーパー騒動記

トイレットペーパー騒動記(備忘録)

<トイレットペーパーの事などどうでもいい話なのかもしれないが、とても印象的だったし、色々と考えさせられもしたので、あえて書いてみた。>

2月29日土曜日、午前の仕事が終わり、妻が「そろそろトイレットペーパーがなくなりそうやし薬局寄ってくれへん?」と言うので、車で薬局に向かう。途中「そう言えば、昨日スマホで見たんやけど、熊本でトイレットペーパーが買い溜めでなくなったらしいわ、どうもデマが流れたみたい」と妻が言う。「ふうん、そうなんや」この時は全くの他人事。薬局(ドラッグストア)に着く。何だかいつもより車が多い。うん?妻が手ぶらで戻ってくる。「全然無かったわ、売り切れ。」「ひょっとしてここ(亀岡)まで影響がきた?」

近くのホームセンターともう一軒ドラッグストアを廻ってみたが、どこも売り切れ、にわかに現実味を帯びてくる。もう昼の1時もとっくに過ぎてお腹も減ってきたし、おそらくどこに行っても売り切れやろうということで、諦めて帰ることに。

遅めの昼ご飯を食べて、「そうや、ネットで買おう」ということに。ネットで<トイレットペーパー>を検索

何と、全・全・全部売り切れ!

地域のお店も売り切れ!ネットも売り切れ!何と今やトイレットペーパーを手に入れる手段が無くなった!?

うちのトイレットペーパーは残り僅か!

だんだん混乱してくる、焦ってくる(これをパニックの初期段階というのかもしれない)、一昨年の台風21号被害の時のことがオーバーラップする。必要なブルーシートがずっと売り切れ状態だったのだ。

あきらめず検索・・業務用のトイレットペーパーがかろうじて<入荷しだい発送>になっている、しかしダンボール箱入りの45個入り・・うーんちょっと多いな、どうしょう?迷うなぁ。何か疲れてきた、妻に交代・・「これは?在庫ありそう」妻が言う、ロールタイプではない平紙タイプ、昔、犬の散歩によく使っていたあの紙、ナイス!少々不便だが、ないより全然まし、決まり!3時過ぎに以下の文言を添えてようやく注文!<家のトイレットペーパーが残り僅かで困っています。早めの発送を希望します。>とりあえずほっとする。来週の中頃には届くだろう、たぶん。それまでは、節約生活だ。

夜に突然、先の業務用のトイレットペーパーの注文画面が開きっぱなしだったことを思い出す。どうする?やっぱり芯入りは必要だし、安いし、一番入荷が早そうやし、ちょっと45個入りは多いけど、もうこれしかないし、背に腹はかえられないか?・・・迷った挙げ句、注文!

翌日、何気なく新聞を広げると、次ぎのような見出しが目に飛び込んでくる。

トイレ紙不足受け 首相「十分な在庫」~事実でないうわさが飛び回っている。十分な供給量と在庫が確保されている~(京都新聞3月1日)

何?十分あんの?慌ててネットで注文することはなかったのか?

トイレットペーパーひとつに振り回される。

私は少し胸が痛む。業務用トイレットペーパーの注文は我が家にとって仕方がなかったけど、ある意味、これも買い溜めに加担していないか?そんな疑問が沸く、こんな行為の積み重なりが、結局在庫がなくなる原因になるのではないのか?でも一生懸命調べたけどそれしかなかったのだよ、我が家のトイレットペーパーはもうすぐ底を突くのだ・・・

しかし、注文から2日後の月曜日(3月2日)に、以下のメールが届く

テレビなどで放映されておりますが、トイレットペーパですが注文が殺到しメーカーに納期を確認しても未定となっております。そのために商品がお届けできない状況となっております。申し訳ございませんが今回のご注文はキャンセル処理させて頂きます。

更にもう1通「ご要望にお応えできずに申し訳ありません。」とキャンセルメールが届く。

妻がこれらを確認、二つともキャンセルになったと、驚きの声を上げる。実は私は内心ほっとした。「これでいいのだ。」「ないないない何もない、面白くなってきた」<後で分かったことだが、妻はこの時、勘違いしていた。キャンセルになったのは、業務用のみで、平紙タイプはキャンセルになってはいなかった>

しかし、いよいよ大変になってきた。土壇場だ。何と言っても我が家のトイレットペーパーが無くなるのはもはや時間の問題だ。

私は明日(3月3日火曜日)、一家の期待を一身に背負い、開店前のホームセンターに並ぶことになった。

しかし、翌朝、8時開店と同時に足を踏み入れたホームセンターのトイレットペーパーの陳列棚は無残にも空っぽだった。おまけに「入荷未定」の貼り紙が・・正直かなりへこむ、店員さんに聞くと、今週中には入りますよ、メーカーの在庫はあると聞いてますし・・・でもお客様の来られるタイミングによっては無いかもしれませんが・・・「いや、我が家ではその今週中はもたないのかもしれないのだよ・・・」(この時点では本当にトイレットペーパーがいつ手に入るか全く見通しが立たなかったのだ)

気を取り直し、朝9時開店前の近くのドラッグストアに行く、既に15人ほどの人が列をなして入り口前に並んでいる。マスクを求めておられる方もいた。

AM9:00開店、トイレットペーパーを探す、どこ?初めての店。数人の女性客も何だか必死な感じの急ぎ足。あった。一番奥の隅に。2種類。でもそれぞれ20個ずつくらい?<これではじきに売り切れるではないか>少し迷ってひとつを選ぶ。

それを手にした瞬間、何とも言えない深い安堵を覚える(こんな感覚初めて?)、私は魚釣りが趣味だが、そう、憧れの大物の魚を釣り上げた瞬間に妙に似ていた。レジを済ませる。顔がほころぶ。こんなに嬉しい買い物は記憶にないほど。家に帰る。「あったよ!」トイレットペーパーを掲げる。妻も安堵の表情を浮かべた。

その夜、「平紙タイプのトイレットペーパーの発送」について店長メールが届く。「3月6日(金曜日)にお届け予定です。」結果的に朝にトイレットペーパーは手に入ったが、手を差し伸べてもらえたように感じる嬉しいメールだった。それでもトイレットペーパーを探し求めて1週間目に手にすることになる。

我が家の場合、もしネットで平紙タイプを注文するという発想がなかったら、もし朝開店前のドラッグストアに並んでいる時間的余裕がなかったら、トイレットペーパー難民になっていただろう。今日(3月4日水曜日)買い物に行った妻が、トイレットペーパーはまだ全然ないわ、と言っていた。普通に薬局やスーパーで買える日はいつになるのか?きっと私達以上にトイレットペーパーが無くて困っている人は大勢いるはずだ。

今回も色々と考えさせられる

私は良きにつけ悪しきにつけ(いや悪しきか)、テレビのニュースは見ないし、新聞もたまにしか読まないし、ネット検索も気の向いた時だけに限られているし、スマホも持っていないし、農業という仕事柄、人と接するより、自然と接しているほうが多いし、つまり現代人としてはたぶん情報がやや不足している。(後で述べるように、何か思うことがあった時にだけ情報やニュースを拾いにいく。)

おかげで今回のデマに(デマ自体知らなかったので)振り回されることはなかったが、結果的には遅れた形で振り回された。

少し言い訳をするなら、世間に無関心というわけでは全くない、世の中の全体の流れというか、世間を包み込む空気感のようなものを肌感覚的に全身で感じ取るようにしている。もちろん必要に応じて新聞も読むしテレビも見るしネット検索もする。また自分にとって本当に必要な情報ならば、焦らなくても必要な時に入ってくると思っている、そう信じている(確信している)。

そして、情報とどう付き合うかは、どんな生活をしていようと、情報化社会という現代に生きている以上は、切実な問題であるのだと今回の騒動でしみじみ痛感した。つまり、例えば、ある何かに対し、自分はそうとは思わないし、それには関わらないと思っていても、世の中の大多数の人が動けば、それは大いに密接に関係せざるを得ない事態に追い込まれるのだと。

私が時には(ある種の情報を除き)情報のほとんどを気に留めず無視しているのは決して反抗しているわけではない。それにしても何をするにしても情報が多すぎる。時にその情報の多さに大いに助けられることはあるとしても、基本的にロマンがないし、自分で探すという楽しみを逸してしまっているように思う。だからといって、昔のように何でもかんでも手探りで探していたら、この現代では大きく出遅れることになるだろう。そう、今回のトイレットペーパーのように。

逆に考える

私は自然農法(無農薬)でお米を育てている農家なので、つまり“病気は人体の浄化作用である”という考え(自然農法的な見方)(参照:別記事<風邪と自然農法>)を持っている等々の理由により、新型肺炎のことはあまり気にならない。他の肺炎とどう違うのか?致死率は?インフルエンザや風邪とはそんなに違うものなのか?私は全く分からない。しかしあえて調べるつもりはないし、私の中では普通の風邪やインフルエンザと同じでいいと思っている。しかしこれはあくまで個人的な感想に過ぎないし、人に同意を求めるつもりもない。

おそらく世間一般とは考え方や捉え方は逆である。

あえて言うなら、私は9年前の放射能のほうが1万倍危機的に感じたし恐かった。しかし、あの時は逆に「安全安心」とテレビに出ているほとんどの人達は言った。

私の中では、色々な事が世の中の一般常識とは逆になってしまっている。そして人は「おまえ変わってるなぁ」と言う。だからこそ、こんな山ふもとの田んぼで自然農法で無農薬米なんかを育てているのだろう、と思う。

それにしても、今回のトイレットペーパー騒動には疲れたし、勉強になった。これからも気を引き締めていく必要がありそうだが、情報との付き合い方を今一度見つめ直す良い機会なのかもしれない。